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コラム 21 | リフレ政策でがんばろう |
コラム 22 | グイミの時節 |
コラム 23 | 門頭松(もんかぶり) |
コラム 23 | 第二十候 |
コラム 24 | 卯月 |
コラム 25 | |
コラム 26 | 瑞穂の国 |
コラム 27 | 食は気温 |
コラム 28 | 職人気質 |
コラム 29 | |
コラム 30 |
里主コラム 1~10 | 51~60 | 101~110 | 141~150 | 191~200 |
里主コラム 11~20 | 61~70 | 111~120 | 151~160 | 200~211 |
里主コラム 21~30 | 71~80 | 121~120 | 161~170 | |
里主コラム 31~40 | 81~90 | 121~130 | 171~180 | |
里主コラム 41~50 | 91~100 | 131~140 | 181~190 |
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リフレ政策でがんばろう
野田政権が解散、自民党安倍政権が圧勝して誕生し、20年近いデフレから脱却するためリフレ政策を強烈に推進することを宣言した。イェール大学名誉教授浜田宏一氏がブレーンとなって、新日銀総裁に黒田氏、副総裁に岩田氏といずれもリフレ政策導入を長年訴え続けて来られた方々を据えられた。
国民皆様の幸せのために。
すぐさま「異次元の政策」と呼ばれる緩和策を総動員して、「二年で2%インフレ」を達成すると新日銀黒田総裁が発表して着手した。白川前総裁までは通貨供給量を小出しにして、世界の金融政策の後追いに終始、結果、「超円高」、日本の国は疲弊しきって惨めな状態になって、特に輸出業界は巨額の赤字を出して完全に競争力を失ってしまいました。
やはりグローバリゼイションの中で戦える政治家やそのブレーンが如何に必要であるか思い知らされる時代に今立っています。
過去にデフレ政策からリフレ政策へ転換した時代があります。
戦前の1927年3月に昭和金融恐慌が起き、1929年10月アメリカの株式市場が大暴落、世界大恐慌が始まる。
当時の民政党浜口雄幸総理と井上準之助蔵相は旧平価による金本位制を実施、デフレ政策(清算主義)が昭和大恐慌の引き金になって農産物が大暴落、農民は大変困窮を極めた、筆舌にしがたい歴史があります。
その世界大恐慌の中で犬養毅内閣が誕生して、高橋是清蔵相が金輸出再禁止を発令して1932年からリフレ政策へ転換、4年間で物価上昇率平均2.4%、生産は7.2%と驚異的な実質成長率を達成し、リフレ政策は成功、これからという時に、残念なことに5・15事件で犬養毅総理は暗殺され、高橋是清蔵相も1936年2月26日に暗殺、その後不幸な第二次世界大戦へと突き進んで行きました。
黒田日銀総裁着任して1ヶ月余り、その手腕は既に「株高」「円安」「企業業績の回復予想」と成果を上げつつあります。
みんなでデフレ克服に向けてがんばろうではありませんか。
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グイミの時節
春の田植えの時期を決めるのに昔はグイミの実が真っ赤に熟した時を了としました。
今でも当里ではひとつの目安に4月から5月にかけてグイミの実が熟す時期を観察して、田植えにかかります。
子供の頃は、田圃の袖の雑木林に実るグイミを食べながら、田植えの手伝いをしたものです。
2~3mの灌木で照葉樹、葉がつやつやで、裏の葉は鱗状毛の銀色、太陽の良く当たる側に沢山の実をつけます。1.5㎝ほど細長い実をつけ熟れると赤くなります。
子供の頃は、所々に隠れている枝の針でチクチクと手を刺されながらも、痛さをこらえて赤く熟れた実を採ってオヤツ代わりにしました。甘く渋みがあって、種を噛むと渋さが強烈で、上手に外側を口の中で取って食べたものです。
秋の稲刈りの時を教えてくれるのもグイミの白い花が咲く時節です。
10月から11月にかけて白い花を沢山つけて、いい香りがします。
稲刈りをしながら途中、鎌を置いて休憩する岸袖の藪の中にグイミの花の香が漂って、疲れを半減させてくれる癒しの木でもあります。
昔は実ったグイミの実を天日干しにして下痢止め薬に保存しました。
今は雑木林が少なくなって、沢山あったグイミも数が少なく、農作業の重要な位置づけからも、子ども達の貴重なおやつ代わりからも、季節の移ろいの目安としての地位からも遠ざかってしまいました。
気象庁の天気予報だけを頼りに農作業に入ると往々にして時節を間違えて作柄が良くない事があります。やはり自然の不思議な力に呼応して、農作業も寄り添って進むことがおいしくて、よいお米を作る要諦だと、年を追う毎に感じながら、田植えシーズン真っ只中で、みんなで頑張っています。
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門頭松(もんかぶり)
自宅の玄関先には御影石の門柱と門頭松があります。
御影石は7寸角、そこには金具が埋め込まれていて、子供の頃は馬を繋いで金櫛で毛を解いて手入れをしたり、轡鞍を取り替えて爪を切ったり、鞍をつけて出かける支度をした場所としての名残です。現在は馬を飼っていないので知る者にとっては懐かしく、覚えのない者は不思議な代物でしかありませんが。御影石の上部には化粧の縁取りがしてあり、正月に締縄飾りに斎える為と本来の門柱の設えを兼ね備えたものです。その門柱の上に、覆い傘のように樹齢60年余りの黒松がドッシリと枝葉を構えています。
この時節は、年末に剪定して形を整えた枝葉から、一斉に春芽(徒長枝)が空に向かって突き上げて春を呼んでいます。その徒長枝を4~5枚の葉が残る程度に剪定する作業をするのですが、農作業の合間をぬっての事だけに大変です。手抜きをすると結果は月を待たずして現れ、もっと手間のかかる作業を強いられます。又、その剪定具合で松の容姿が良くも悪くもなるので、センスが問われる仕事です。何しろ、門口の家の顔ですから、品位品格を表す門頭松は重要な家のシンボルとしてその地位を保っています。
黒松は昔、お城に沢山植えられて、戦で籠城兵糧攻めにあって戦が長引き、兵糧が尽き果てたときは、この松の皮を剥いでたたいて煮て食料にし、木は薪に使用し、城の普請や橋の資材としても使われたと伝えられ、重要な木でした。第二次世界大戦中は松の皮に鋸目を入れて松脂を採取して油を取って物資の無いのを補っていました。
また、松の葉は二葉が一つなっていて、枯れても二葉は決して離れません。そのことから、夫婦が愛睦まじく一生添い遂げ合う様にと、契として、おめでたい木でもあります。
自宅の入母屋造りの上門は大きな黒松を二つ割にして化粧梁に使っていますが、築60年近くになると赤みの木地が光沢を放ち、趣も程よく黒松ならではの重厚感があります。
私が卒業した小学校の講堂は明治時代に建てられて、幅一尺厚さ一寸五分の黒松の赤みだけを使用した立派な床板や腰板が張られ、講堂の威厳を醸し出す木材でした。半世紀前に解体の憂き目に会い、今は鉄骨の体育館と化して、趣もなく残念です。在学中に遠足に行った海岸の楽しみが、黒松の防風林の根元に有る松露(5センチ前後のグレーの丸い菌)探しで、美味しく頂いたものです。汚れていない遠浅の砂浜と松の防風林が三里程続く美しい風景は今では過去のものとなり、コンクリートの防波堤とテトラポットが自然とふつりあいに占領しています。環境の変化と共に忘れ去られた幻の松露は、懐かしい思い出の味の一つとなっています。
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第二十候
5月10日は旧暦卯月1日、七十二候の第二十候にあたります。
気候を分けるのに、春夏秋冬、それを各六つに分けて二四節気、それを又各三つに分けて
七十二候として使われ、今ではその気候の候が名残となっているくらいで、生活に密着した農耕中心の時代とは隔世の感があります。その第二十候はミミズが地上に這い出る時節としています。
田植えの新田(新しく稲を植える為に、水を張って地ならしをする作業)をすると、通常の三倍も長くなって這ってとても不思議です。
併せて、カエルやケラも沢山現れ、水面はにわかに賑やかになります。
空中からそれを狙って、カラスや鳶、モズなどが各々凌ぎ合いを演じます。
モズは藪の中から突きでた幹から短距離を素早く飛んで獲物を仕留めるのに対し、カラスは岸辺や道、電柱などに留まって泥田を歩いて捉えます。鳶は空高く旋回しながら急降下して獲物を攫います。カラスは数羽以上の集団が多く、鳶が狙いを定めていると判ると、集団で鳶を追い払い、カラスに軍配が上がります。ミミズと言うと思い出すのはジュズ(数珠)、ミミズを木綿糸に通して7~8センチ程度の輪っかを5~6重にして作り、竹の先に斎えたものをジュズと呼んでいます。
6月から真夏、秋口にかけて夜間にジュズを作って川岸のウナギの居そうな穴を狙って差し込み、食らいついた所へ素早く網を入れて獲ります。
昔は一晩、二時間程度で10~15匹は捕れたもので、あくる日に背割りして炭火の蒲焼にして頂き、日頃の農作業の疲れもとれて元気に次の仕事に励みました。
天然ウナギは身が引き締まり、現在の養殖ウナギのブヨブヨ感や変な臭みも無く、味は絶品です。
最近は河川の汚れやコンクリートの護岸が多くなった関係か?、その漁法もすっかり忘れ去られ、あの懐かしい味は久しくお目にかかりません。
梅雨時期から真夏の風物詩を知る人は、きっとヨダレが出る思いではないでしょうか。
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卯月
田打ち=田植えを始める時に水が行き渡るように平らに打ち均し、稲の苗を早乙女が植えていく間隔に併せて苗束を打っていく作業をします。卯月は田植えの打つ作業から由来して打つ月即ち旧暦4月を卯月と呼びました。 -
小さい頃によくニッキの根元を掘って根を取り、その根を陰干しておやつ代わりとして、木の部分と皮の部分を口の中で噛み分け、皮(ニッキの味)を噛んで口が皮でザラザラになって頂きました。家族からは「そんなに掘ると木が倒れるから程々にするように」と叱らせた苦い思い出も同時に浮かんでくる懐かしい時節です。
当地では昔、竹を二つ割にした所に菖蒲を挟んで、田圃の隅に刺して土地の精霊を呼び覚まして五穀豊穣を願ってお供えものをしました。
菖蒲は花が黄金色=稲穂の色、しかも繁殖力が旺盛なところから、豊作を願いあやかってお祭りしたのかもしれません。山吹を挟む在所も在り、同様に黄色い花が沢山つくのでこれをお供え物としました。
今はその風習は全く消え失せて、あったことさえ記憶の彼方に追いやられています。
その時の思い出は、やはり食べることで、ニッキの葉に挟んだ練り餅と餡入り餅、蒸籠で蒸した熱々の練餅や餡入り白餅を熱さより食い気が先にたって頂いた、あの味です。田植え時になると今でもニッキの香りがついた餅の匂いや味が本能的に五感に振動して、欲しくてたまらなくなります。清涼感があって練り餅の甘い味と相まって絶妙、自宅に生えているニッキの木を眺めては懐かしい味を思い起こす、忘れることが出来ない季節の味です。
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梅雨時
私どもの暮らす四国地方は5月27日に梅雨入りと気象台より発表がありました。
多くの日本人は嫌な時節を迎え、憂鬱な気分や生活を強いられる不報と捉えます。
しかし、農業、特に稲作農業を営む者にとっては吉報そのものです。
豊かな慈雨が山や野に降って植物を活き活きとさせ、新緑が冴えて伸びやかに育ちます。
空気中の窒素に雨が当たり下界まで肥料を運んでくれます。
田植えを終わった稲の葉に雨が当たり、背丈が伸びて力強く分けつします。
カエルの合唱も盛んになり、メダカやコブナも忙しく、蜘蛛は雨にあたって破れたネット補修に忙しく、夜はホタルが優しい光で私達を迎えてくれます。
何もかもが元気そのもの、梅雨を楽しんでいるようです。しかし近年、酸性雨やPM2.5など自然界を脅かす不要なものが飛来して、生態系はどうなるのでしようか?
自国はもとより開発国からの飛散が問題視されていますが、日本は公害先進国、その技術を以って公害対策に協力し、早急な対応がとれないものでしょうか?
酸性雨は松枯れを起こし、最近は杉や檜までが傷んでいます。
針葉樹がこの状態ですから、当然食物連鎖で動物や人にまで害を与え、絶滅危惧種が増加し種の減少が起こり、人々はかかる病気に苦しんでいます。実に憂れうるべき現実です。
花粉症などは私の若い時代、少なくとも昭和30年代は聞き覚えのない病名です。
マスクをして森林浴にも行けない方々が気の毒です。何かヘンですね。 - 「水に流す」という言葉がありますが、日本人にしか通用しない言葉です。
温帯モンスーンの島国で、急峻な山から雨が谷になり川となってイッキに流れ落ち海洋に下ります。将に日本ならではの光景です。熱しやすく冷めやすい日本人の気性は、日本の独特の地形と気候風土が生んだ産物かも知れません。
昔は山の木材を切り出して谷に貯めて置き、梅雨時期の水を利用して下流域まで筏を組んで流し、製材所で木材加工する大切な時節でした。昔は一年がかりの作業も、今ではほんの数日でこなせる機械化と林道整備やトラック輸送、難なく目的地まで配送する事が出来ます。
浮世絵に出てくる筏流しの風情は遠い昔の産物でしかありません。
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瑞穂の国
以前にTPPについて申し上げましたが、最近、前中華人民共和国大使、元伊藤忠商事株式会社会長を歴任された丹羽宇一郎氏が「北京烈日」を出版され、世界の人口爆発による食料問題で日本農業の生きる道について触れておられます。要約しますと自立した農業を目指し自給率でなく自給力を向上させること、その手法は日本の気候風土に最適なコメ作りで世界と勝負する自営農業がこれからの農業だと説いています。
また、長い国土から北海道はジャガイモ、沖縄はサトウキビ、東北の一部は米の大規模化は可能で、その他の地域はロップ・シェアリング(賃貸)による米作の大規模化を提唱されています。農協の弊害にも触れ、誰のための農協かと問い正して農協不要論を説き、農水省の体質も根本的に改めるべきだと述べておられます。商社の食糧畑を歩まれただけあって、農業(農家)のことをよくご理解されておられます。
島国日本の国土は急峻な山と少ない平地、先祖代々からの細切れの田畑、そこで稲作中心で生計を立てて暮らす瑞穂国、国が栄えるに従いより生産性の高い二次産業、三次産業へと人口移動して農業は衰退産業へ、現状は農業従事者僅か3%、生産額10兆円規模(トヨタの売上の半分)、グローバリゼイションの時代に相応してTPP加盟の手続きに入り、日本の農業が新たな段階を迎えております。丹羽氏は日本の適地適作は米作しかないと指南されています。全く同感です。
日本人が普通に飲んでる「水」、これが美味しいご飯が炊けるかどうか重要な点です。水には硬水から軟水まで様々、国々によって異なります。日本本土は30前後の軟水、沖縄でも180位です。これがフランスに行くと1800まで上がり硬水で飲むと喉がピリピリします。日本は温帯モンスーン、地形から太平洋側は梅雨時期から夏場に沢山雨を降らし、日本海側は冬の豪雪から雪解け水が軟水を作ります。
この恵まれた環境から「美味しい軟水」が生まれ、その水でご飯を炊いている訳で、お米が美味しく頂けるのは至極当然です。
作物も適地適作、日本の気候と地形から最適な作物となるとお米なのです。
しかも、私の住む地域は粘土質で最良の地、平安時代には管領地として黒米、白米を作り平城京に上納していた一等地です。
この国に生まれ、この地に育ち、米作農家として十一代目、美味しい米を世界にお届け出来るグローバルな時代に巡りあわせたことを幸いに思い、これからも精進いたします。
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食は気温
日本(本土)は温帯地域に属しますが、最近では亜熱帯ではないかと思う位、春と秋が短く猛暑と豪雪でその被害も多発しています。食物連鎖の頂点にいる人間の人口爆発が地球温暖化の主要な原因であると言われています。
食事はその時の体調、そして気温が嗜好を左右します。時節によって気温や湿度、風向きや一日の天候の変化によっても影響を与えます。 -
食事と気温の関係を羅列しますと、
80℃ 味噌汁やスープが美味しい温度
50℃ お酒(燗)の適温(熱燗は60℃)
30℃を超えると、(真夏日)炭酸飲料やカキ氷が欲しくなる気温
28℃を超えると、(土用のうなぎ)うなぎの蒲焼が欲しくなる気温
27℃を超えると、スイカが欲しくなる気温
25℃を超えると、清涼飲料水、水ようかん、素麺(弊里のくろ麺)が欲しくなる気温
24℃を超えると、アイスクリームが欲しくなる気温
22℃を超えると、ビールが欲しくなる気温
15℃以下になると、鍋料理が欲しくなる温度
8℃ 夏のビールの飲み頃温度(冬は12℃)
7~8℃ 家庭用冷蔵庫内の温度
-8~-15℃ 家庭用冷凍庫内の温度
などです。ちょっとご自身で照らしあわせてみて下さい。 -
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ちなみに、稲は15℃以下では育ちません。
田圃の水温は25℃以下でないと高温障害で作柄がよくありません。
近年の猛暑は稲にとっては地獄です。
私の圃場は全て地下水を地下からポンプアップしておりますから一年中16℃、その心配はありません。稲は元気に育ちます。料理を美味しく頂くコツは暖かいものは暖かく、冷たいものは冷やして頂くことです。体温は36℃台ですから、それより15℃前後冷暖すると美味しく感じます。
常温のままで頂くことは折角美味しいものが台無しです。
五感に訴えて、雰囲気や色目とともに気温を考慮して美味しく、楽しく頂きたいものです。
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職人気質
日本人は生真面目で礼儀正しく繊細で、しかも職人気質で、「J感覚」と呼ばれています。
何事においても探究心が旺盛で、究極を求め、美の世界、そして心の世界の高みにまで仕上げる類まれな民族です。例えば農業もしかり、私共はお米の品質改良や栽培技術にものすごいエネルギーを傾注し主食としての中庸の味を求め、栄養バランスや健康によいものを追求し、新品種が出来るまでに最低でも10年の歳月はかかっていますが、それでも又その上の課題を目指しています。
健康や自然環境保全の趣旨からも有機栽培にこだわり、無農薬、無化学肥料、無除草剤、堆肥は近隣の山々の落葉樹や照葉樹の落ち葉を山の東西南北から集め、多様な菌種で一年をかけて堆肥化し、備長炭や海藻堆肥などと併せて圃場に施肥し、自然の力(地力)を引き出し、より自然に近いものを求めています。化学肥料だと1時間で済む仕事を1年かけて行っている訳です。
水は地下水の井戸水をポンプアップして年中水温は16度℃、籾蒔き、田植、草取、稲刈、天日乾燥、そして低温倉庫(15度以下)保管と各作業工程にはノウハウが詰まり、お米の一粒一粒の姿形、色艶、香りなど美の世界を追求する職人根性そのものです。
均質なお米をお届けするために色彩選別機で悪いものを除去し、その上に人の目でもう一度全てを選別し直して納得ゆく良いお米だけを袋詰するのも、こだわりそのものです。
コスト度外視です(笑)。
日本の気候風土に見合う稲作を求めると自然を読み解く知力が必須となります。
つまり、自然の中に同化して始めて解る世界が存在する訳です。
行き着く所、自然を崇拝する心の世界に帰結します。ことほど左様にあらゆるジャンルに於いても、日本人の手にかかると、世界一の極上のシロモノに仕上がります。
これをガラパゴス化と世界の人は吹聴と羨望の眼で見つめています。
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植樹のススメ
昨今の猛暑やゲリラ的な集中豪雨、冬の豪雪と四季が薄れて季節変動が大きくなっています。その原因はCO2などによる 温室効果ガスの増加です。
ヨルゲン・ランダース博士の著書「2052」の中で、2010年現在大気中にCO2は390ppm存在し、人類によって毎年2ppmずつ増加しており、今後30年で危険値450ppmを超えると警告を発しておられます。CO2排出量の1/4が海に1/4が樹木に吸収され残りの半分が大気に蓄積されています。70億人とも言われる人口が文明の発達とともに森林伐採や特にエネルギー消費(石炭、石油、ガス)が鰻登りとなり、危機的状況に追いやっています。
博士は国際的に取り決めた「大気温度上昇を2度以下に抑える為のCO2排出量総量規制」を順守し、温暖化による生物へのダメージを減らさなければならないと述べています。日本では昔から大木は「神が宿る」神木として守られてきました。
木は次世代に遺すものの代表格ではないでしょうか
弊里は直営店を37年前に構えた時、シンボルとして欅を植えましたが、今では直径が50センチ、枝幅13メートル、高さ10メートルにまで成長し大木となりました。
街の真ん中に威風堂々として枝葉を広げ、夏の暑さを和らげ、秋には落ち葉を腐葉土にしていますが、CO2を吸収して地球温暖化防止の一役を買っています。
都市空間はもっと多くの樹木スペースを確保し、個々の住まいに空間があれば植樹して、少しでも温暖化を食い止める努力が愁眉の急と考えますが・・・。
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地球感・長期志向
前回、ヨルゲン・ランダース博士の「2052」著書の未来予測に触れましたが、もう少し詳しくご紹介したいと思います。
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人間は地球の生物が生産する量の1.4倍を消費している。
人は強力な経済法則には抗しがたく、「共有地の悲劇」が着実に進んでいる。
産業革命後地球の気温は0.9度上昇しているが、今後このまま進行すると2052年までに地球気温が2度以上に上昇する。
既に各種の種は1年で息地が局地に向かって5㎞、山腹に沿って5m移動している。 絶滅種、絶滅危惧種が増加している。
海洋の酸性化が進み、サンゴや円石藻類(炭酸カルシウムの骨格や殻を持ったもの)は減少してやがて死滅する。(これらの種は炭素を取り込んだり地球を冷やす硫酸ジメチルを産出する重要な役割を果たしている。)
CO2 を全て吸収するには現在の2倍の森林が必要であるが、今後、熱帯雨林は高熱により大規模火災に襲われ木々は立ち枯れする。
何かのきっかけで気候変動が自己増幅し始めたら、「危機」は「大惨事」になりかねない。
ツンドラが溶け始めると大量のメタンガスが放出される。メタンは強力な温室効果ガスであり、その放出が始まると気温はさらに上昇し、ツンドラが溶けて、メタンが全部出尽すまで止まらない。
優れた農林漁業従事者の目で世界を見れば、海、山、里を大切にすることが如何に人類のためになるか気づいている。
残念ながら人間は短期志向で5年以上のコストや利益は無視している。など。 -
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長い年月をかけて地球環境が出来上がり、微妙なバランスの上に人類が生存してきたが、そのバランスが人間の超目先の利益やエゴのために崩されて危機的状況を作り出している。
そして美しい地球。日本人は自然を守る心を持ち合わせています。
人類が次世代へ引き継ぐ最重要課題は地球環境保護で有り、そのタイムリミットを教示しておられます。
農業に従事して半世紀、温暖化が着実に進み、動植物など種が確実に絶滅や減少、外来種の増殖など異変を日々、年々実感し、不安感を覚えます。
GDP偏重の政治・経済からの脱却が、次世代に明るい未来を託せる道ではないでしょうか。
おいしい水。おいしい空気。美味しい食物。